プロ

緒形拳さんは本当に亡くなっちゃったんだなぁ・・・。つい最近まで笑っていたような人が急に亡くなられると、死の不思議さというか、死ぬって一体なんなんだろう?と混乱するけど、時間が経つにつれ、そして死を思わせる報道を見るにつれ、徐々に現実味を帯びてきました。立川談志さんも今闘病中だし、王監督や清原さんや桑田さんも引退だし、なんか寂しい。


映画やドラマを観るのが好きな人にとって、緒形拳さんをどうでもいい存在だと思っている人って少ないんじゃないだろうか。例えば、緒形拳さん目当てに見たドラマじゃないとしても、緒形さんの出ている場面を見ると何とも言えないシビレを感じます。そのシビレは、まっさらなお風呂のお湯に初めて入浴剤を入れた時のように、ゆっくりと温かく心に広がっていく。だから緒形拳さんの演技を見る度に新鮮に「あー、緒形拳さんっていいなぁ・・・。」と思わされるのです。藤竜也さんにも同じような感覚を抱いています。


一番最近に見たドラマは玉山鉄二さんや田中裕子さんと出ていたNHKのドラマで、その時も確かに痩せたなぁとは感じたけれど、新幹線に乗るシーンなどでは今までと変わらない生気のある笑顔で演じていたので、まだまだ大丈夫だろうなと思っていました。それは正に演技だったんですね。


病気だという事は家族以外には誰にも知らせていなかったそうで、その言葉の通りどこの報道機関も闘病中に報じてはいなかった。当たり前といえば当たり前なんだろうけど、私は緒形拳さんの主治医や看護士の口の堅さにもプロとしての誇りを感じました。守秘義務があるから口外しないのが当然なんだけど、最近はお金で情報を売ったりとか、あと事の重大さをわからずにペロっと話してしまう人が多い。やはり類は友を呼ぶという言葉にもあるように、プロ魂にはプロ魂が集まるのだろうか。


それと、緒形家の結束の固さも感じました。人間って自分が弱っている時は、誰かにわかって欲しいから、ついつい自分の病を告白し、弱音を吐いてしまうもの。だけど、緒形拳さんが仕事場では誰にも言わず一人で耐えてこられたのは、「自分をわかってくれる人がいる。」という家族への強い信頼と絆みたいなものがあったからなんだろうなと思うのです。私は他人なので推測でしかないのですが。これは本当に羨ましい。


緒形拳さんはオーイちゃんという猫を飼っていて、雑誌にもその様子が載っているのですが、緒形さんの趣味である書道をやっている横で、書き終えたばかりの書の上に猫が寝転がっていても、和紙を猫がビリビリに引きちぎってしまっても一切怒らないんだそうです。


寝転がる猫緒形さんが猫と載っている『猫びより


※ちなみにこの雑誌(バックナンバー)はコチラで購入できるようです。私は店頭で買ったので、ネットでの購入方法等は自己責任でお願いします。
猫グッズ&猫雑貨のお店『猫びよりショップ』 猫びより No_40(2008年7月号)(商品番号:60040)


猫は基本的には気ままな動物だけど、寛容な主を失った寂しさは感じるのかな。自分に置きかえると(自分が動物より先に死ぬと仮定した場合)、なるべく猫にはマイペースでいて欲しいな。「誰かいなくなったの?知らな〜い。」(←猫の心の声)って感じで。


その雑誌に載っていた緒形さんの言葉。70歳の時のものです。今にして思えば、ここに緒形さんの闘病への覚悟が集約されていると思います。

「老いるってことは病る(やまいる)ってことと同じ。だけど、それは闘うんではなくて、猫とつき合うように、病とか老いに静かに寄り添ってやるもんだと思うんだよね。一緒に連れ添っていくというか。よく、頑張んなきゃとか、しっかり生きなきゃとか言うけど、頑張んなくてもいい、寄り添っていけば。力まずに、それも自分だっていう風に生きていくとすっと楽になる。そんなこと思ったの、つい3,4日前なんだけどね(笑)」