報道番組が増えても中身は充実せず。

せっかく日本人が受賞して注目を浴びているノーベル賞だけど、報道といったらノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授のコミカルさばかり取り上げている。


英語が話せない益川教授だけど、日本での記者会見で「でも、若い人に“英語は学ぶ必要なし”と誤解して欲しくない。私も論文は英語で読みます。」と言っていたのに、その報道は1回しか見ていない。ああ、何故どの番組だったかチェックしておかなかったんだろう・・・。私のバカ!


こういう記事にもぜひ注目して欲しいです。
・戦禍の少年時代紹介 益川さんら ノーベル賞記念講演
2008年12月9日 東京新聞朝刊

(以下抜粋)
今年のノーベル物理学賞を受賞する高エネルギー加速器研究機構名誉教授小林誠さん(64)、京都産業大教授益川敏英さん(68)と、化学賞の米ボストン大名誉教授下村脩(おさむ)さん(80)が八日、ストックホルム大学で受賞記念講演をした。益川さんと下村さんは戦禍に遭った自分の少年時代から語り起こす異色の講演で、聴衆に強烈な印象を与えた。


 「私は家具職人の息子として生まれました」と話し始めた益川さんは「父は小さな家具工場を営んでいましたが、自国が引き起こした悲惨で無謀な戦争で無に帰しました」と語った。
(中略)
降壇した益川さんは戦争に言及したことについて「二度としてはいけないとの思いで話した」と心情を吐露。「空襲でうちの周囲はすべて焼けた。うちにも落ちたが、たまたま不発弾だった。爆弾が落ちた瞬間と、母親にリヤカーに乗せられ避難したことが、頭の中に写真のような映像で残っているんです」と、目を赤くしていた。


 小林さんは、ノーベル賞候補に挙げられながら七月に亡くなった戸塚洋二・東京大特別栄誉教授の写真を見せて「日本の貢献は大きい」と強調。下村さんは、長崎原爆による惨禍の写真を壇上の大スクリーンに示しながら「原爆が落ちたとき、十六歳で長崎市街から十五キロ離れた工場で働いていた。閃光(せんこう)と爆風を感じたが、運良く生き延びた」と語った。