愛しの我が子

瑛太さんと木村カエラさんの子供が無事に生まれたらしい。それはおめでたい話なのでいいんだけど、なんだい、あの木村カエラのマスコミ向けのメッセージはよぅ。


いえ、我が子は可愛いので、というか親こそが我が子を無条件で「世界一可愛い!」と思う存在であって欲しいと思うので、カエラさんがそう思うのはもっともだと思うんだけど、その気持ちを世間に向けて公表しなくたっていいじゃない。と私は思いました。


だいたい、出産をした芸能人が「出産は神秘!子供は私に新たな感動と愛を与えてくれる魔法の存在!」(木村カエラさんはこんな事言ってないけど)とかポエムみたいなコメントを世間に発表する事がオシャレ、みたいな流れになっているから、一般社会の女の子も、そのポエムっぽい世界だけを信じて簡単に子供を作ってしまうんじゃないか。この先さぞ子供に幸せな生活を与えてもらえると夢見ていたら、実際には夜だろうが親が寝不足だろうが数時間置きに泣き叫ぶし、うんちやおしっこも沢山するし、しかもちょっとでもうんちを拭き残してしまったらお尻がかぶれ、その結果火がついたように泣くし、ご飯食べなきゃ飢えるくせに、やる気のない食べっぷりだしと、世話だけでもやる事が沢山あって、自分の時間など持てなくなる。


あくまでテレビのニュースで報じられているものに限ってだけど、親からの虐待の被害に遭う子って、「太郎」とか「花子」などのシンプルな名前は少なく、可愛くて凝った名前が多い。この事からも、子供との生活などに対する期待度の一端がうかがえるような気がするのですが。高過ぎる期待値に対して、あまりにも生活感溢れる子供との生活。子供は時に「私(親)を苦しめようとしているのかしら?」と思えるような行動さえする。     


人にもよるけれど、仕事というのは基本的にはお金を稼ぐためのものであって、やりがいとか楽しさは二の次だと思う。やりがいを求めるのも人それぞれで良いと思うけれど、働かなければならない時に、絶対必要な事は「お金を貰うための労働」だと思う。


子育ても、本当の基本は「育てる」という事なんだから、最初に書いた芸能人の浮ついたコメントとか、最近のCMに多い、芝居がかった幸せ家庭の光景などが植え付けてくる、仕事で言う所の「やりがい・楽しさ」を求めるのではなく、忠実な任務として子供の世話をする事が最初の目的なんじゃないか。そうじゃないと、万が一にも親が「子供が可愛くない」とか「どうしても愛せない」という感情になった時に、その子供は親に見捨てられてしまうしか道は残されていないのか?という事になる。


愛だの可愛さだのは、結果的に芽生えればいいものであって、それを持てない親が特別冷たい人間だとは思わない。愛が無くてもご飯は食べさせなきゃいけないし、オムツも替えなくちゃいけないんだから、自分が生んだ子に対してするべき本当に必要なのはそういう奉仕だし、自分の趣味などの時間を犠牲にする覚悟だと思う。自称オシャレ芸能人やオシャレクリエーターは、これから子供を生む若い人にそういうメッセージを発した方がいい。