あなたの秤に狂いはないか?

 『義母と娘のブルース』を見た……。
 はぁ、温かくもなんて悲しい終わり方なのだろう。涙が溢れて仕方なかった。娘と妻を見送る父の眼差し。優しさに満ちているだけに残酷だ。
 個人的なタイミングとして、沖縄県知事の翁長さんの訃報にショックを受けていた時だったから(録画で見ているので)余計に悲しい。せめてドラマの中では奇跡を、と思ったんだけど。


 本題。
 例えば、早朝に突然数人の警察官が自宅にやってきて、逮捕状と共に身に覚えのない罪状を告げ逮捕される。

 逆説的な言い方だが、冤罪とは、無罪の人全てが対象なのだから、真犯人以外は全て冤罪に巻き込まれる可能性がある。やってもいない罪を着せられるのだから、誰でも対象になり得る。

 DNAで冤罪が証明された足利事件の菅家さんも、知人の結婚式(披露宴)に出席する予定だった日に逮捕されたという。本当だったら知人の幸せを祝って終わるはずの一日だったのに、その日を境に18年間自由を奪われ、やってもいない殺人者の汚名を着せられる事となる。それは菅家さんの家族も同様だ。警察や検察の人、更に裁判官はその事をどこまで自覚して犯人と断定しているのだろうか。

 栃木県で小学一年生女児の命が奪われた、いわゆる今市事件。私は記者とか物書きではないので詳しい情報(裏情報)は知らないし、本当の事は被告本人しか知らない。だからこの事件の被告が冤罪かどうかは私は言及できないが、新聞やテレビなどの情報(被告のDNAが一切見つからないのに、誰だかわからない人間のDNAが付着しているとか、犯行時間や犯行現場が供述と違っている等々)を見る限り、裁判所という場がこの程度の証拠で有罪だと決め、被告を有罪にしてしまうのは自らの役割を放棄しているとしか思えない。そのくらい野蛮というか知性や客観性を少しも感じられない判決だと思う。県警も、自分達が遺体にDNAを付着させて捜査を混乱させてしまった負い目があるから容疑者逮捕を焦ったのではないだろうか。逮捕直後は記者に「容疑者のPCを解析したら消去した画像の中に被害者の遺体の画像があった」と虚偽情報まで流している。しかし、警察や検察の暴走を止めるはずの裁判所が全くその役割を果たしていない。それどころか犯行現場を変えるように指示しているのだから日本の司法の秤は鎖が切れてしまったとしか言いようがない。

 もしかしたらただの無実の人でしかない人間に、殺人者の烙印を押してしまうかもしれない事の重大さを感じて欲しい。目先の出世ではなく、職を退いてからも心から「自分は良い仕事をしてきた」と胸を張れるような判決をして欲しい。