非常識だからこそ表現できるものもある。

先日の日記で、沢尻エリカについて

彼女がより成長するのだとしたら、この先必ず痛い目には遭うだろうけど。

なんて偉そうに書いてしまったんだけど、それは早くとも1年後とかを想定していたんですが、まさかその数日後にそれが現実になるとは。


今となっては「やっちゃったものはしょうがないじゃん。」と思っていますが、あの舞台挨拶の映像を見た直後は、特に彼女のファンでもなく、ただテレビの前で見ている私でさえ心臓がドキドキとしはじめるくらいその場の緊迫感が伝わってきて、関係者でもないのに「彼女はなんて事をしちゃったんだろう・・・?」と心配になったほどです。


最近は、芸はないけど人当たりの良さで仕事を増やす芸能人が多いせいか、久々に、人によっては初めての、大きな態度の彼女に対して衝撃を受けたのは私だけではないらしく、「平成の沢尻エリカ騒動」と名付けたいくらい、テレビでも世間でも彼女の話題が多かった。


以前に彼女が撮影した風景写真を見た事があるけど、構図とか色とか光とかがとても綺麗で、そういう事にこだわるのが好きなんだろうなーという印象を持ちました。彼女の心の中まではわからないので、これは私の勝手な推測なんだけど、彼女はこの映画の宣伝のために、それまで140を超えるメディアの取材を1人で受けてきたそうで、その集大成である舞台挨拶を完璧に仕上げたかったと思うのです。ワガママと言われればワガママで終わってしまうんだけど、彼女の熱いこだわりとは裏腹に、きっと周囲は、舞台挨拶の場をただの顔見せ行事としか捉えていなくて、しかもその場には彼女より先輩で売れっ子の竹内結子も来ているので、周りの関係者はどちらかと言えば竹内結子の方に気を使うだろうし、そういう状況で頑張って取材を受けてきた沢尻エリカの思いやこだわりが、当日にどこまで反映されていたのかな?と言う疑問はあります。一説によると段取りが悪くて時間が押しちゃって、納得がいかないまま舞台に出されちゃったという話もあるし。


あと、今となっては怪我の功名で名前を上げた司会の女性も、フジの現役アナだった頃の仕事っぷりはなかり読み間違いなどのミスが多くて、しかもそれを笑って誤魔化すタイプの人だった。まぁ打ち合わせなどでこの人の仕事っぷりに何か怒りを感じたって訳じゃないだろうけど。(だからといってあの態度が正当化されるとは言っていません。)


不機嫌な理由に関して「彼氏と喧嘩したからか?」とか、色々憶測が飛んだけれど、同じ女性として思うのは、舞台挨拶でのファッションを見る限り、少なくとも現場に着くまでは沢尻エリカは舞台挨拶に掛ける意気込みはあったんじゃないか(やる気があった)と思うのです。確か彼女は自分でメイクをするんですよね。って事は、洋服もまるきり人任せではないと思うので。やる気のない人が、あのワンピに金髪のウイッグ、さらに頭にサングラスはかけない。(ハズ。)本当は笑顔であの場に立ちたかったんじゃないかなぁ。まぁ自分がブチ壊したんだけどさ。


なんかこの騒動を受けて、和田アキ子が「シメる。」と怒っていたそうだけど、「私がイチから礼儀を教えてやる。」じゃなくて「シメる。」って・・・。いつまでヤンキー引きずってるんだい。それじゃあ21歳の沢尻と同じ土俵に乗っちゃってるじゃん。まぁ相撲界の決まりでは女性は土俵には上がれないそうなので、実際には和田アキ子だけが土俵の上にいる状態なんだけど。


それに、道徳的に彼女の態度は問題だ、と言っているマスコミも、ここぞとばかりに以前からの彼女の態度をあげつらってみたり、謝罪しているのにまだ責めてみたり、自分の道徳観はどうなんだと言いたい。「人をいつまでも責めましょう。」と言うのが皆さんの道徳なのか?と。


あの場にいたファンが怒ったり「許せない」というのはわかる。あと監督とか実際に関わった人。でもファンの中には「生で不機嫌エリカが見れた。萌え〜!」(自分で書いてて情けない)とか思ってる人もいるかも。中々生では見れないよ、あの怒りは。なのに、関係のない人までが「ファンに、監督に、スタッフに失礼だ!」とか人の気持ちを代弁して正義感振りかざして正論のように言うのは疑問が残ります。ただ単に自分が彼女とか、彼女のような態度をとる人が嫌なだけなのに、「誰々が気の毒だ!」とか他人に当てこすって自分の意見をいかにも世論のように言うなっつーの。「俺は嫌いだ!」でいいじゃん。


役者という仕事は、ドキュメントでない限り、実際には存在しない人や起きてない出来事を、そこにあるかのように表現して見せるって芸術的な要素を多く必要とすると思うのです。ショーケンこと萩原健一は、普段の素行にはかなり問題がある人だけど、芝居の世界でのショーケンショーケンにしか出せない味がある。最近の芸能界はテレビのバラエティ番組が軸みたいになっちゃって、小池栄子とかMEGUMIみたいのがいつのまにかドラマに出て女優気取りだったりして、女優というものが簡単なもののように思われてるので共感しずらいかも知れませんが、そういう場合は役者でなくミュージシャンに置き換えてもいいです。私の知る限り、優れたミュージシャンって変わった人が多いのですが、逆に一般人と同じ感覚しか持っていない人が音楽を作ったとしても、「ああ、このくらいなら自分にも表現できるな。」と思う程度の音楽しか作れない。やはり、人よりはみ出したような感性を持つ人だからこそ、私を含む凡人が聴いた時に、「何故こんな歌が歌えるの!?」という衝撃をもたらすのではないでしょうか。


最近は芸人にしても役者にしても、目先の行動や態度ばかりで評価して肝心の芸や作品に関して厳しい評価をしない。でもそれは表現者としての本筋とはかけ離れたものになっているような気がします。だから芸に対して見る側も目が肥えた人がいなくなっちゃったし、見せる側も芸が磨かれない。


これは世界的に有名な指揮者の話なので、今回のような話とは比べられないけど、その指揮者はコンサートの当日になっても気分が乗らないとキャンセルするそうです。何故それが許されるのかと言えば答えは簡単で、気分が乗らない彼に無理矢理指揮棒を振らせたところでその演奏は妥協でしかなくまるで価値のないもの。天才的な演奏というのは蛇口を捻れば出てくる水とは違う。


もちろん、沢尻エリカの演技がそこまでに達しているわけではないけど、日本人のエンターテーメント部門を高めたいなら、こういう表現者に関しては懐を大きくして、今後は態度や人柄云々より作品で評価していった方がいいんじゃないかなぁ。


今回の騒動で思った事はこの事と、「A型は人に気を遣う。」という血液型による性格判断は当たってないな、という事です。