周りの目線を意識しすぎて自分の判断を鈍らせる羞恥心という意識

日本人ヤバイよ!
昨日適当に色々な人の日記を読みまわってそう感じました。


何って、きっかけはバドミントンで世界ランク1位の中国選手に勝った日本人ペアについて人々がどう思っているか知りたかったのです。


ちなみに私は、掲示板というのはあまり見ません。見ても、それが「世間の声」とは思いません。あれは陰の集合体であって、陰と陽のバランスが全く取れてない。だから無視。


という事で、私は「五輪前はオグシオばかりチヤホヤしていたのに、オグシオが負けて、もう一方が4強に残った途端に“スエマエ”とか呼んじゃって嫌だね、マスコミは!」的な意見が多んだろうなと心の片隅で思っていたんだけど、バドミントンのキーワードで検索して読んでみたら、多くの人が当たり前のように「スエマエペアが残っているから楽しみ」的な言葉を書いているのです。えええええ〜!いつからスエマエなんて言い始めたんだよぅ!そこに疑問を感じないのかよぅ!


先日の北島康介選手について書いた日記で言えば、スエマエと呼ばれる本人はその事をすんなり受け入れて「応援ありがとう。私たち頑張る。」と自分への力に変えていって良いと思うのですが、呼ぶ側はもちょっとぐらい、呼ぶことに何か感じて欲しい。「いつこんな名前ついたんだ?」とか。


日本人はこんなにすんなりとマスコミの言葉を受け入れる(受け入れるという選択さえももはやせず、川の水のように自然に流れ込んでいるような)ようになっちゃったんだね・・・。こりゃ、フジテレビの意図的な放送によって再び安倍政権が発足する日も遠くないや。そんで知らない間に旗を持たされ戦争に行かされるんだ。


何でもかんでも斜めに見ろとは言わないけど、もうちょっと個性というか、自分で一度は考えるくせをつけた方がいいよ。日本の人。羞恥心とか普通に応援しちゃってる場合じゃないって。彼らを見て、紳助・電通・某宗教、この存在を意識できないようじゃ、いいように踊らされまっせ。