偽善でも何もしないよりはマシ

録画しておいた『その時歴史は動いた 第345回 一人、そしてまた一人 〜マザー・テレサ 平和に捧げた生涯〜』をやっと見ました。ドキュメントやこういう事実に基づいた番組は集中して見たいから、見るのが遅くなってしまう。


いつも思うんだけど、こういう素晴らしい活動をしている人に対して「そのやり方はどうなんだろう?」とか横ヤリを入れてくる人って実は何もしていない人だったりする。


例えそれが万が一「自分が良い人間だと思われたい」という理由から起こした善意の行為でも、良い人だと思われるための行為が、高級車を乗り回すとか高い腕時計や装飾品を身につけるとか整形するとかでなく、人に優しくする事を選ぶというのが既に素敵じゃん。


それに、理由はどうあれ実際に助かっている人がいるのなら、「俺(私)は自分を偽ったりしない人間です!」というちっぽけで自己満足な自己主張のために誰も助けようとしない人より役に立っている。


もちろん、マザー・テレサさんは自分がどう思われるかを考える前に人のために体が動いてしまう人だと思います。


私はどこかで、「人に親切にしよう」と思いながら人に親切にしている自分ってイヤラシイんじゃないかと思っていて、だからどうにか無意識に人に親切にできる人間になりたいよなぁという葛藤があったのですが、マザー・テレサさんが手を差し伸べた人たちは、そんなナチュラルな愛や親切など受ける術も無く人生を終えようとしている人たちなのだから、「あなたたちに愛を」とあえて意識して接するのはイヤラシイ事でもなんてもないんだなーと思いました。


最後にマザー・テレサさんの言葉。(番組公式HPより引用)

「死を待つ人々の家」の理念を語った言葉
「誰からも見捨てられてしまった人々が 最期は大切にされ 愛されていると感じながら亡くなって欲しい。彼らがそれまで味わえなかった愛を 最上の形で与えてあげたい。」