再びの白い春

先日の日記でドラマの感想を書いたのですが、その他にも『臨場』と『夫婦道』を見ていたのを忘れていました。正確には『臨場』は録画だけしてあってまだ見ていないのです。そして『夫婦道』は面白いです。こういうのどかなのっていいですねー。出ている人もみんな素敵で、特にしずちゃん、弟、犬(チャツミ)がいい味出してます。高畑淳子さんは、自然に演じようとしすぎて逆に不自然になっちゃってる印象。本仮屋ユイカさんは超可愛い。武田鉄矢さんは即興の天才。


本題。
阿部寛さんが鉄棒で逆上がりをしている場面が面白そうだったので、久し振りに『白い春』を見てみました。逆上がりをしている場面は確かに面白かったけど、全体的にはやっぱり面白くないドラマだった。いい人沢山出てるのに残念・・・。重ねていいますが、この低視聴率はキャストの責任じゃないと思います。キャスト目当てに見た人にさえチャンネルを変えさせる退屈さがこのドラマにはある。


1話の途中でチャンネルを変えて今回まで、間が抜けているので詳しい事はわからないのですが、パン屋の遠藤憲一さんが、本当は阿部寛さんの子である大橋のぞみちゃんを、のぞみちゃんには事情を話さず実の親として育てていた所までは理解できるのですが、何故出所してきた阿部寛さんから遠ざけようとしているのかがよく理解できない。あ、違うな、理解はできるんだけど共感できないのです。のぞみちゃんはあんなに会いたがっているのに。


今となっては可愛い我が子である大橋のぞみちゃんを、いくら血がつながっているとは言え、人殺しの手に任せられるもんか!っていう感情や、反対に何も知らずに阿部寛を慕う大橋のぞみちゃんの態度を見て、阿部寛との血のつながりみたいなものに焦りや嫉妬を覚えているのかも知れないけど、だからって実の父と子である事を隠し、会わせないようにするのってエゴじゃん。そんなエゴ人間に可愛い大橋のぞみちゃんを任せられるか!と私は思ってしまうのです。その割に、パン屋の御主人(エンケンさん)は朴訥として実直そうな良い人の設定っぽいから違和感もある。


私としては、阿部寛さんと大橋のぞみちゃんがお互いに何も知らずに知り合って仲良くなり、その様子を遠藤憲一さんが通りすがりに見かけ、もの凄い形相で駆け寄って来て、それに気がついたのぞみちゃんが「あらパパ」と笑顔で手を振り、それを見た阿部寛さんも「コイツお前の子だったのか」と呑気に言うんだけど、遠藤憲一さんだけは血相を変えたまま「その男と話すんじゃない!」とのぞみちゃんを無理矢理連れ帰り、家に帰っても最初は怒りやら何やらで動揺&興奮しているんだけど、一晩考えて、死んだのぞみちゃんのお母さんの事を思い出したり、のぞみちゃんの赤ちゃん時代を思い返したりして(その時代が今のドラマでどういう設定になっているのかわからないけど、)この時思い返すのはのぞみちゃんの母は不幸な亡くなり方をし、阿部寛に父の資格が無いかのように見せておき、“思い出し怒り”で思わずテーブルを両方の拳で強く叩いちゃったり。


なのに、次の日阿部寛さんの元へ行き、何故かのぞみちゃんはお前の子だよと正直に告白する。んで、阿部寛さんもぽわわ〜んと妻との幸せな日々を回想したりして、あの時に子供ができていたのか〜・・・孤独な俺にも、愛する妻との家族ができる喜び・・・的な気持ちになろうとした時に、一転して人を殺して血塗られた自分の手を思い出し、阿部寛の方からのぞみちゃんを拒否するようにして欲しい。もちろん、自分が父である事は秘密にして。最初はほわわんとした想像もせず「私は子供が嫌いだ!」と伊武雅刀さんのように取りつく島もない感じでもいい。


でも、ドラマの中とは言え、いたいけな子供の心を深く傷つけて欲しくはないので、のぞみちゃんを遠ざける方法は直接的でなく姑息なやり方で笑えるようにして欲しい。身を隠すために慌てて見知らぬ人の車に乗ったりとか、顔を隠すために近くに歩いていたおバアさんをおぶっちゃったり、道を尋ねられて、「あそこの信号を〜」と指差しながら説明している時にのぞみちゃんがやって来るのが見えて、阿部さんが慌てて体の向きを変えたせいで指を差す方向が変わっちゃったり、お金も無いのにタクシーに飛び乗って、結局遠藤憲一にお金を借りに言ったりとか。


阿部寛さんは自分は父と名乗る資格なんて無いや、と思い込んでいるし、視聴者にもそんな印象を与える場面しか見せないんだけど、もちろん本当はそんな事なく、その真実が、昨日の回のようにハローワークでやっと見つけた仕事先で色々な場所に派遣され、その行った先々で昔の知り合いに再会し、自分が刑務所に入っていた頃の妻の様子を視聴者と共に知り、徐々に心変わりしていく。いや、ここまで寅さん的じゃなくてもいいや。毎回ちょっとずつ、エンケンさんから昔の妻のエピソードを聞き、父としての自信を持ち、態度を軟化させていくのでもいいや。


いっそ育ての親が嫌な奴で、子供がいじめられて苦労しているんだけど、ピンチの度に、父と名乗れずヒーローのように助けてくれて、おじさん誰なの?ってのもいいかも知れないけど、そうなると毎回いじめのシーンとかあって見たくない感じになっちゃうからダメだ。やっぱ温かいドラマがいい。


ダラダラと妄想話を書いてしまいましたが、つまりは、子を思う父なら、殺人を犯した自分が、何も知らずに幸せな環境で暮らしていけている子供に対してノコノコと「俺が父だよ」とは名乗れないというのが親心であり、それは他の人から強要されるまでもないって事。そして、子供には親を知る権利がある。育ての親は、血のつながりが無いとは言っても、心の面では我が子のように愛情を持って育てて来た子なら、子供が親を知る権利を奪っちゃいけないし、ましてやあんなに近くにいるのなら、近所で働く阿部寛に対して「シッシッ!」と子供に隠れて追い払うのではなく「アイツめ、突っぱねているけれど本当は会いたいんじゃないか」と察してあげるくらいの気心が欲しいなと思うのです。


もちろん、ちゃんとドラマを見ていない私の言う事なので、遠藤憲一さんが娘を隠す、深い理由があるのだとしたらすみません。途中からは『白い春』についてではなく、単に妄想が楽しくなってしまった事を白状し、御詫び致します。