御殿場事件

先日、『報道発ドキュメンタリ宣言』という番組を見ました。


・報道発ドキュメンタリ宣言HP
・過去の放送内容 ダイジェスト動画#19「それでも僕らはやってない 〜親と子の闘い3000日〜 」 


【事件の概要】
2001年9月16日、御殿場で帰宅中の女子高校生が、駅で同じ中学校の男子2名に声を掛けられ、手首を掴まれ無理矢理歩かされている間に男子の仲間が増えていき、最終的に男子10名に公園で強姦未遂に遭ったと警察に被害届けを出した。警察は犯人として少女から名前を挙げられた少年(駅で声を掛けた男子)など10名を逮捕するが、事件当日の少年たち全員にアリバイがあり、しかも犯行時刻に少女の方も別の男性とデートしていた事が発覚。一旦釈放されるが、少女は犯行日時を変更し、再び少年たちを訴えた。犯行日が変更になった事により、天候や当日の公園の状況など少女の供述といくつもの矛盾点が生じるも、検察が訴えを取り下げる事もなく、裁判所もその矛盾を再検討する事なく、少年たちの有罪が確定し、現在服役中。


この事件については、この番組より以前から何度も報道していましたが、今回は被告の元少年の「家族」に大きく焦点を当てていました。でも、他人事のように「可哀想な青年たち・・・。」と涙を流している場合ではなく、この事件が本当に冤罪なんだとしたら、この悲劇は誰にでも起こりうるという事なのです。だって事件に無関係の人間が、実際にこうして刑務所に入れられてしまったんだから。自分に無関係の事件なんて、この世には星の数程ある。それがある日いきなり「この犯人はお前だ!」と我が身に降り掛かってくるこの理不尽さ。この事件はたまたまテレビで大きく取り上げられたけど、戦う事を諦めて理不尽な冤罪に泣いている人もそれこそ星の数ほどいるんだろうなと思う。


力では到底敵わない男、しかも集団で強姦されそうになったというこの手の事件は女性の私からすれば犯人を殺したいくらいの怒りが湧くけれど、それはあくまで事実であればの話。もし被害者とされる少女が何らかの理由ででっち上げたのだとすれば、巻き込まれた元少年たちを苦しめただけでなく、本当に痴漢や強姦などの被害に遭った女性たちの訴えまで同様の虚偽と思われてしまうのではないか。


そういうもろもろの感情面は封じて客観的に見ても、この事件は初動捜査の段階からおかしい事だらけで、犯人のDNAを採取しやすい性犯罪なのに、何故か被害者の衣類などを押収しておらず、被害者の診断書さえも提出されていない。この前の放送によると被害者の身体には傷一つついていなかったらしい。


ここで思うのは、本当の犯人が地元の有力者(議員や資産家)のバカ息子で、自分の息子をかばうために親が証拠隠滅など、自分の息子を見逃してくれるよう警察幹部に頼み込んだか、少女の嘘を鵜呑みにした被害者の家族が同じように有力者で、「徹底的に捜査して絶対に犯人を見つけろ!」と圧力をかけ、警察は存在しない犯人をでっち上げざるを得なくなったのかなという事。


そうでないのなら、普通、傷一つない少女が男10人にしらふの状態で暴行されましたと訴えてきても、警察の勘みたいなもので嘘を疑うと思うし、嘘を疑えばこそ、被害者の衣類に付着しているはずの犯人のDNAを徹底的に捜査したいと思うものなんじゃないのか。犯人が触りまくっているはずの衣類を押収すらしないってどういう事?ただの怠慢捜査だったのか、それとも故意か。


逮捕された少年たちは警察からの執拗な取り調べ(机の下で足を蹴ったり、髪の毛を掴まれたりしたそうだし、「一生刑務所から出られなくしてやる」「お前は人間として扱わない」などの暴言も浴びせられた)に屈し、自白をしてしまうが、無実を信じる親たちの調査の結果、犯行当日にアルバイトをしていた事実や居酒屋にいた事など少年たち全員のアリバイが証明された。アリバイを証明するのは、アルバイト先のタイムカードという物証や、少年たちの顔を覚えてた居酒屋の店員さんなど、当事者とは無関係の第三者の証言がある。そもそも警察は、事件当日の少年たちのアリバイさえ調べていなかった。


さらに、少女の携帯電話の通話記録から、事件と同日時に、少女は別の男性とデートしていた事がわかった。デートしていた男性は法廷で「女子高校生に“帰りが遅くなった言い訳をどうするの?”と言う話になった際に女子高校生自身が“親には遅れた理由を誰かのせいにする。”と話していた。婦女暴行されたとか、そういう言い訳をするという意味です。」と証言している。少女も「男性とデートしていて帰宅が遅くなった事を親に知られたくなかったため、被害に遭ったと嘘をついた。」と認めたため、少年たちは突然の逮捕から9ヶ月後にようやく保釈された。


しかし、少女は再び、被害に遭った日にちを2001年9月16日から2001年9月9日に変更して少年たちを訴えた。日にちが変更された事で、10人の少年たち全員が偶然にも「犯行日は9月16日」と同じ日にちを間違えて自白した事になる調書の信憑性が問われる所だが、静岡地裁沼津支部はそれを再検討する事なく、犯行日を変更した少女の訴えを認めた。


自白調書には、公園の東屋に立ち入り禁止のロープが貼ってあったために芝生の上で犯行に及んだと少年が説明したようになっているが、犯行日が変更になった9月9日にはまだそのロープは貼られていなかった事が証明されている。つまり、自白調書は16日の公園の様子に当てはめて書かれた警察主導のものだった事がこの事でもわかる。


更に、9月9日の犯行時刻には犯行場所である公園付近で雨が降っていた事が気象庁のデータによって証明されたが、少女の証言に「雨で服が濡れた」というものも、折り畳み傘を所持していたのに「傘を差した」というものもなかったが、この事を指摘された検察は「局地的に降らなかった可能性もある」と主張し、裁判所もこれを認める。(番組側が気象協会に取材すると、「現場だけ降っていないことはありえない」と回答。)しかも、局地的に雨が降らなかった可能性がある根拠として裁判所が証拠として採用した雨量記録に、御殿場市役所や御殿場消防署の2か所の降雨記録が0ミリであると記載されていたのだが、これは書類を作成した警察による間違った記録で、実際には2.5ミリの雨量を観測していたし、警察が作成した書類のミスに気がついた気象鑑定人(データを警察に提供した人)が公判中にその事を警察に指摘したのにも関わらず、警察はそれを訂正しなかった。(間違いを指摘した気象鑑定人は、てっきり自分の指摘後に書類を訂正したものだと思っていた。)


取材班が犯行現場にて、当日と同じ風速と雨量を再現して検証した結果、マネキンの洋服はびしょびしょになっていた。事件のあった日時に近くの道路で交通事故が起きていたのだけど、その現場にいた人も、雨は相当降っていたとインタビューに応えていた。(その事を裁判で証言したかどうかはわかりません。)


この日記を書く前は、もっと簡単な感じで事件について書こうと思っていたのですが、この事件に巻き込まれ人生を台無しにされた元少年たちの事を思うと、どれも省略できない重大な暴挙に思え、抜粋する事ができず長くなってしまいました。最後まで読んでくれた奇特な方がいらしたらありがたいです。


検察官と言えども人間なので、間違う事はあると思う。私が怒りを覚えるのは、わざと間違った判決へと少年たちを導いている事です。しかも、裁判所も流れ作業のように判決を下している。


この事件を引き起こした少女の愚かさにも怒りは覚えるが、バカな人間だって生きる権利はある。そのバカが誰かを巻き込む程の嘘をつかない保証はどこにもない。普段は「嘘はいけない事だ」と思っている人間だって、自分の立場が追いつめられた時、嘘で誤摩化してしまう事があるかも知れない。


仮に被害者(原告)の少女が嘘をついているのだとしても、それが嘘か本当かを客観的な事実で見極めるためにこそ、検察や裁判官がいるんじゃないのか?そうでないのなら、何のために試験を受けて任務に就く資格を取得し、税金から給料を貰っている検察やら裁判官が存在しているのだろうか?


「加害者(被告)の格好がヤンキーっぽいので有罪だと思う。」とか、反対に「あの人は真面目そうだから無罪。」など、心象で罪を決められるんだとしたら、それこそ通りすがりの人間にでも判断できる仕事なので、日本は司法制度を今すぐ廃止て欲しいし、裁判官も法衣を脱ぎ、木槌を置いて法廷から出て行くべきだ。(滅多に使わないらしいし、My木槌を持ち歩いているわけじゃないだろうけどさ。)