戦争を知るという事

先日の日記でTBSで放送された倉本聰さん作のドラマ『歸國』の感想を書きましたが、その中で私は

ただ、この作者の思いが、あまりも台詞で語られ過ぎた。ドラマではなくインタビューで倉本さんがこの思いを語ったのだとしたら、すごく意義のあるインタビューになったと思う。でも、ドラマという表現方法の中で、言葉だけで延々とそれを表現してしまうのはどうなんだろう?

などと偉そうに書いているのですが、平たく言えば、「このドラマ、意味はある内容だけど、エンターテーメントとしての面白さや感動はあまり感じられなかったよ。」って意味で、今でも、説明のような台詞だけで表現した事については「他に方法があればそうした方が良かったな」とは思うし、作る側の人々はメッセージを多くの人に伝えるためにも、興味を引く作品に仕上げる気持ちで作って欲しいと思うんだけど、見る側の視点に戻ってみると、そもそも戦争を体験していない私が、沢山の人々が亡くなった戦争を題材にしたドラマで感動や面白さを得ようなんて事は不謹慎なんじゃないか?という気がしてきたのです。


確かに、数年前にテレビ朝日で放送された松本清張原作のドラマ『点と線』のように、メッセージもあり、かつドラマとしても面白い、というのが理想ではあるけれど、その前に、私のような戦後生まれは、まず戦争の本質を知る事が先決だなと思うのです。最近のアメリカがやっている戦争を見てもわかるように、戦争なんてちっとも感動的なものではないし、美しいものでもない。むしろ、一部のまともなアメリカ国民が「罪の無い民間人にまで攻撃が及ぶ戦争は反対!」と叫んでいるのにも関わらず、マスメディアに踊らされたバカな保守層の「911テロの報復だ!」という大義のもと、首謀犯ではない国に向けて攻撃を始めてしまった。


そんな戦いの中で、仮に感動的なエピソードがあったとしても、そこにフォーカスを絞ってドラマに仕上げるのは、ましてや戦争の実態を知らない人々に見せるのは、戦争を美化してしまう事になるんじゃないか。戦争は自然災害と違って“どうしても避けられなかった”事ではない。戦争のドラマは「何があったのかを見る」、そして「戦争の真実を知る」事に本当の意味があるんじゃないかと。


トム・ハンクスさん主演の『プライベートライアン』という戦争映画があって、あの映画を見た後に私はどうにも腑に落ちない感じを覚えたんだけど、今にして思えば、あれはとても意味のある結末だったんだな、とわかる。


あの映画には、冒頭数分感に渡り激しい銃撃戦があって、血も飛ぶし腕も飛ぶし銃の音は大音量だしかなり衝撃的で残酷な映像が続いていました。当時映画館で見ている時は「(銃撃戦が)長いな」と思っていたんだけど、多分、監督は少しでも疑似体験をさせたくて、あえてそういうシーンを入れたのでしょう。実際の戦いはもっと長かったはず。


その映画が公開されていた当時読んだ雑誌の記事によると、映画館で見ていた観客の女性が耳を塞いで目をつぶっていたそうなんだけど、戦争映画だと知りながらその映画を観に来たのなら、本当はその女性はいくら気分が悪くなっても見てなきゃいけなかったんですよね。だって実際に戦争が自分の住む所で起きたら、目をつぶったって避けられない事なんだから。


色々な人の思惑が絡んで起きる戦争だから、原因も一つではないし、一番の悪人はこの人だ!という答えが無い。だから反戦をテーマにしたものを「わかりやすく」説明しているものというのは本当は危険なのかも知れない。難しいから、若い人というのは戦争を扱った番組は敬遠してしまうのも無理はないけれど、今では当たり前のように戦争反対なんて言っている戦前戦中生まれの人々の中には、戦争に反対する人を「非国民!」と罵っていた人がいる事を知っておいて欲しいです。こういう人達というのは、与えられた情報を鵜呑みにして、疑う事をしない人達なのでしょう。


自民党末期の頃(安倍が総理になり、麻生で終わるまでの、首相がコロコロと変わっていた頃)、戦争を体験した人々の中から、「今の日本の社会は戦争が始まる前の空気ととても似ている」という声をよく聞きました。戦争を知らない世代としては、再び同じ間違いを犯さないためにも、戦時中の軍部や政府やマスコミがどういう対応を取っていたのかだけは知っておきたいです。