対照的な『熱海の捜査官』と『うぬぼれ刑事』

24時間テレビ 愛は地球を救う』のエンディングの視聴率が25.6%だって。


W杯中だったせいもあるけれど、沖縄返還の密使である若泉敬さんを特集したNHKスペシャルは2%台だったというのに、一体どんな人達が見ているんだろう?とこの世を憂いでしまう。


結局はこれをきっかけに、アイドルの知名度と局のイメージを上げようとしているのが見え見えじゃないですか。本当に困っている人を救いたいっていうなら、スポンサーから集めた予算を出演者のギャラに使わずに、削って募金した方がいいだろうに。世の中の関心を強く引く手段に、体が不自由な人々を利用するというやり方は卑劣ですらある。


何も知らずにキラキラした瞳で見ている人もおめでたくって怖くなるけれど、私も何も知らない子供の頃は、家族でこの番組を見て感動していた1人なので偉そうな事は言えない。この番組に文句を言いながらも見てしまう人の方が罪深さはアップしそうだね。民放の番組の命綱はスポンサーだし、そのスポンサーが気にするのは視聴率と出演タレントなんだから、一番の抗議は番組を見ない事なのに。


本題。
こちらは何かの抗議の意思の現れではないんだろうけど、『うぬぼれ刑事』と『熱海の捜査官』の視聴率がすこぶる低い。(ちなみに「うぬぼれ刑事」7.2%「熱海の捜査官」6.4%)


熱海の捜査官』に関しては、視聴者が離れて行くのも無理は無い。正直、私も出演者があの方々でなければ絶対もう見てない。ごめんよ・・・。


全体的にエロス漂う今回のドラマだけど、あれは監督の意向なのでしょうか?だったらそれはそれで構わないんだけど、もし監督より上の権力を持った人の意向で、監督は渋々それに従っているのなら、それは本当に悲劇的な事です。


視聴率を重視に考えれば、オダギリジョーさんを好きな人達っておそらく草食系男子を好む傾向にある思うので、男子生徒のぷりケツが出てきたって「ヤッタネ!」とは思わないと思います。海老蔵さんが主演なら、お尻もまた趣きありだったのでしょうが。今回はマーケットのリサーチミスだね。視聴率的に見ればですが。


一方今週の『うぬぼれ刑事』。時間帯のせいもあるんだろうけど、こちらは爽やかな笑いでしたね。人が殺されているのに爽やかというのも不謹慎ですが、あくまでもフィクションなので許して下さい。


長瀬智也さんと荒川良々さんの2人は、画面に出ているだけで条件反射のように笑ってしまう。荒川さんが「うぬぼれ氏」と呼ぶだけで可笑しい。大人計画は凄い役者を見つけ、そして世に送りこみましたね。


三田佳子さんは迫力があるなぁ。女優、女優、女優よ。と全身で訴えているかのようです。せっかくの理解者である人を殺してしまったけれど、その事実を知った後も、後悔の表情を見せたのは一瞬だけ、というのがかっこ良かった。


今回、その三田佳子さんと恋に落ちた西田敏行さんや坂東三津五郎さんなどを見ても思うけれど、世の中にはやはり俳優という職業をするために生まれてきた人っているんだなとつくづく思います。「頑張って努力してこうなった」というレベルではなく天性の何かが備わっている。(努力をしていないという意味ではありません。努力だけでは手に出来ない才能を持っているという意味です。)


特に今回は、バー『I am I』にて、様々な人達が同じ空間で演技をしているので、その違いが私のような素人でも歴然と見てとれるのです。矢作さんは違うな。痛々しささえある。芸人としては面白いのに、面白い芝居となると寒々しいって何でだろう?♪なんでだろーなんでだろー。ネタだって演技に近いと思うんだけど。


ミステリー作家役である三田佳子さんが「トリックの整合性とか、本当に読んで欲しいところはそこじゃない」というような事を言いますが、確かに重箱の隅をつつくような指摘はどうかと思うけれど、三田さんの役はミステリー作家なので、ミステリー作家がトリックに整合性持たせないと意味が無いじゃん、と思いました。整合性が無ければ、トリックがマジックになっちゃいますからね。そして私の場合は、物語が面白ければ多少の粗は全然気にならないので、粗が気になるって事はその粗を感じさせないくらいの物語では無かったって事じゃないでしょうか?と思いました。


「本当に見て欲しいのはそこじゃないんだよ。」という言葉は、三田佳子さんの口を借りたクドカンさんのぼやきだったのかも。