司法改革

検察や警察の失点が続き、「取り調べの可視化を!」という声がさらに強まっている。


その声に私もまったく賛成なんだけど、それに加えて、私は裁判所のあり方(判決)も改革した方がいいんじゃないかと常々思っています。


先日、チンピラまがいの警察官の取り調べの様子を録音したものが公表されたけれど(そしてあっと言う間にその報道は消えたけど)、強い権力を持つ組織(警察や検察)によって狭い部屋に拘束され、ああやって罵声と恫喝を浴びせられ、しかも何度訴えても自分の言い分は聞いてもらえないという状況が何時間も続いたら、そりゃー殆どの人間が「やりました。」と自白しちゃうよ。逆に言えば、その取り調べに屈しなかった村木厚子さんは本当に心が強い人だと思う。この人にぜひ政治家になって欲しい!


話が脱線しましたが、つまり自白なんてものは、警察や検察がその気になればいくらでも自分達の思う通りにできてしまうもので、それは今のように酷いやり方が公になる前から、裁判官などは薄々気がついていたはず。だって裁判の公判で実際に「自白は検察官に強要されて言いました。」と証言台で訴えた人は何人もいる。


テレビ朝日で度々取り上げている、いわゆる『御殿場事件』も、被害者の証言が変わったり、性犯罪にも関わらず、原告の少年達の体液など物理的な証拠が無かったり、天候の矛盾など数々少年側の無罪を推測させる点があるのに、被害者少女の言い分と加害者側の少年達の自白調書ばかりに重点を置いた判決が出されてしまった。
※参考までに、過去の日記から『御殿場事件』について書いたもの


小沢一郎氏に関してもそうだけど、私は別にこの少年達に会った事は無いから個人的な思い入れがある訳ではなく、テレビなどを通して彼等を見た時に「この少年達の瞳は嘘をついていないわ!」などという確信があってこの事件の判決は間違っていると指摘しているわけではありません。そもそもそんな風に見た目で「良い子そうだから無罪」とか「悪そうだから有罪」などと印象で決めつける事はあってはならない事だと思います。だからこそ、裁判で公正に裁いて欲しいのです。彼等が本当に罪を犯したならば罰を受けるべきだと思うけれど、この警察や検察の捜査や、裁判官の判決はあまりにも酷い。


これは推測でしかないけれど、松本サリン事件で警察やマスコミから加害者扱いされた河野さんも、あの後地下鉄サリン事件が起きていなかったら、ひょっとしたら逮捕されていたかも知れない。


反対に言えば、松本サリン事件でいつまでも河野さんに執着せず、他にも捜査の目を広げていたら、その後に起こる地下鉄サリン事件は防げていたかも知れない。あくまで推測だけど。


犯人を間違えるという事は、無実の人に罰を課すという以外にも、真犯人を野放しにするという悲劇が起こる。


ただ、警察や検察は「犯人を見つけ出す事が仕事」なので、焦るあまりに間違った人を犯人だと思い込んでしまう事はあると思う。裁判所というのは、そんな間違いを正しい方向に戻す最後の砦なのに、今の裁判所は検察に寄り添い過ぎて、全然中立の立場に立っていない。検察がこんなにずさんな捜査をするようになったのは、裁判所がなめられているという事だと思う。だから検察だけでなく、裁判所も大きく変化を遂げる時が来ていると思うのです。このままでは審判の天秤が検察側に傾きっぱなしだよ。