無知の代償

原発事故のレベルが7に上がった辺りから、事故の直後にテレビに出まくって「大丈夫です」と連呼していた学者達が姿を消した。


といっても、私が見た限り、学者の中には「この人は本当に大丈夫だと思って言っているんだな」と思える人もいたので、テレビで「大丈夫」と持論を発表する事が悪いとは私は思わないです。


私が問題だと思うのは、そういう意見を放送する事じゃなく、そういう意見の人ばかりを出演させるテレビ局の方です。何故、2つの意見を流して視聴者に判断させないのか。洗脳メディアと言われても仕方ない。ってか意識的にそうしてるし。


オウムによるサリン事件が起きた頃ぐらいから、テレビの中で一方的な意見を言う人ばかりが占拠し始めた気がする。


オウム(今はアレフに改名か)の信者の数名は、逮捕される前までやたらとテレビに出ていたんだけど、その頃は江川紹子さんとか有田芳生さんなどオウムに疑惑を向ける人達も同じ番組に出て議論を交わしていたんだけど、徐々に自分達が劣勢だと感じ始めたオウムの信者が「あの人が出るなら私は出ない」と言い出し、しかもテレビ局がその意見を受け入れてしまった。


「あの人が出るなら私は出ない。」という意見がまかり通るという事を私がはっきりとそういう事を認識したのはこれが初めてだけど、きっとその前から、そんな事はゴロゴロと転がっていたのかも知れない。女優同士の確執!と言うレベルのものならそれもわかるけど、テロ行為の疑惑を向けられているカルト教団の主張だけを視聴率優先で一方的に流すテレビ局って何なの。


ただ、今回の原発事故の報道を見て、「視聴者もいつまでも無知を売りに被害者面していてはいけないな」と強く思いました。ネットでいくらでも自分で調べられる世の中なのに、いつまでテレビや新聞の情報に頼っているんだ。(テレビや新聞の発信する情報に関しては、もはや『報道』などと呼びたくもない。)


原発のある地域に住む人にしても、近隣住民の中には原発建設に反対の人だっていたはず。だって私でさえ10代の頃から「原発は危険だ」という薄ぼんやりとした認識はあった。訴えや存在までも原発推進派にかき消された反対派住民は悔やんでも悔やみきれない思いでいっぱいだろう。


知らないという事は罪じゃないかも知れないけれど、知ろうともしなかった事が今になって自分達の生活を脅かしている。その時になって「嘘つき」と相手を罵っても、失ったものはあまりにも大きく、何故彼等の生活ばかりが犠牲にならなければならないのかとやるせない気持ちが溢れてくる。


この事をせめてプラスに活かす点があるとするならば、私達は色々な情報や意見を幅広く集め、その中から自分が正しいと思えるものを見極めなければならないという事だろう。