やましい人は扉を閉ざす

 震災前からもそうだったけど、震災後はさらに大手マスコミ・大手メディア(新聞・テレビ)の一人歩きが加速していみたい。毎日新聞の契約を打ち切って本当に良かった。ただ、そんな毎日新聞の中にも、今でも強く印象に残っているくらい心に響く記事を書く人は何人かいた。でもそういう人もやがて変わってしまうんだろうな。だって、記者でありながら、本当の事を報道できないのにそこに居続けられるという事は、もはやその人は報道マンではなく広報マンという立場を甘んじて受け入れているという事。


 今はフリー記者VS記者クラブ、という図式になっているけれど、大手メディアの中にわずかに存在する、若い熱い記者達と、フリーの記者たちで何か新しいものは作れないのでしょうか。経済界もそうだけど、早く古い体質の人達が引退して欲しい。


 「物事を冷静に常に距離を置いて斜めに見る俺」を気取っている(推測)竹田圭吾さんは記者クラブを批判するフリーの記者に対して、いかにもフリーの記者がその事で目立とうとしているかのように上目線で批判しているんだけど、そういう意見は、同じような業界に属していながら、記者クラブ問題を本気で考えていないから出てくる薄ら呑気な意見だなと私は思う。フリーの記者達は、記者クラブを叩く事が目的なんじゃなく、叩かざるを得ない存在だから叩いているんじゃないか。


 竹田さんが記者クラブ存続賛成なら賛成で構わない。それはその人の意見だから。そういう立場で、記者クラブを批判するフリーの記者達を批判するなら理解できるんだけど、そうじゃなくて、なんかどっちでもいいと思っているような人が、この問題にクビを突っ込んで批判するのがお門違いだなと思うのです。


 フリーの記者が単に自分たちも情報を楽に欲しいが為に記者クラブを叩いているのなら竹田さんの上目線な発言もわからないでもないが、この記者クラブという存在が要因となる問題はもはやフリー記者達にだけ被害が及ぶようなものではなくなってきている。(いや、ずっと前からそうだったのか。)
 以下、いくつかの本の中で記者クラブについて触れられていた箇所を引用したものです。ほんの数冊の本を見ただけでもこんなに問題視する人が多い。そしてその問題は国民にとって無関係なものではない。


 『霞ヶ関の逆襲』(講談社高橋洋一江田憲司 著

  P177
 マスコミを操る霞ヶ関(部分的に引用)

 なぜ、霞ヶ関の問題がここまで隠されてきたのか。もちろん霞ヶ関自身も悪いのですが、報道をするマスコミにもその責任の一端はあるのではないでしょうか?記者クラブ制度によって守られている大新聞やテレビ局などのマスコミは、霞ヶ関に非常に甘く、平気で彼らの広報のようなことをやっています。霞ヶ関はこういったメディアを操るのが非常にうまい。
 ちなみに霞ヶ関が意図的にマスコミに情報を流そうとすることがあります。
 一つのやり方は、まず自分達に都合のいい情報をリークすること。これは『さらば財務省!』でも触れましたが、二〇〇八年の年明け早々、「公務員制度改革は多くの問題があって、今後政府は慎重に検討していく」という、渡辺行革大臣の方針とは異なる記事が出たことがありました。つまり、このように自分たちに都合のいい情報を流して、既成事実を作り、改革を潰そうとしているのです。これは霞ヶ関がよく使う常套手段です。



 『「1テーマ5分」でわかる世界のニュースの基礎知識』(小学館池上彰 著

 P214
 NYタイムズの「記者クラブ問題」報道を黙殺する日本メディア
 ※’09年11月21日の『ニューヨークタイムズ』に日本の記者クラブ制度を取り上げた記事が書かれたが、ほとんどの日本のメディアはこれを黙殺した、という話や、記者クラブが出来た経緯などが書かれています。
 (一部引用)
 記者クラブに座っていれば、当局が次々に報道資料を持ってきますから、それなりの原稿を書けてしまいます。一方、記者たちを記者クラブに座らせておけば、当局としても、都合の悪いことを嗅ぎ回られなくて済みます。
 記者クラブの記者たちは当局との関係が悪化して情報をもらえなくなるのが何より怖いですから、会見で厳しい質問を遠慮します。かくして、当局と記者クラブとの癒着関係も築かれていきます。


 (中略)


 『ニューヨークタイムズ』の記事は、皮肉たっぷりに、こう書きます。
 「最初の記者クラブの会見には約45人のほとんど男性ばかりのスーツを着た記者たちが、まるで学校の教室のような机に向かっている」(略)
 既成の記者クラブは、ローテーションで配属された若い記者たちが中心です。政界人事は質問できても、政策についての専門的な知識がないため的確な質問が出来ません。この結果、政治家も政策についての認識を深めることができず、日本の政治を貧しいものにしている側面があります。記者会見に専門紙の記者や、ベテランジャーナリストが出席して厳しい質問を投げかければ、政治に緊張感をもたらすことができるはずなのです。次に「チェンジ」すべきなのは記者クラブです。



 『プリンセス・マサコ』(第三書館)ベン・ヒルズ 著

 P204
 (略)こうしたスキャンダルは、いうまでもなく、日本では報じられなかった。日本のメディアは、イギリスやヨーロッパとは違って、皇室に対して敬意を払い、恭しいまでの態度をとっている。共同通信の記者をしていた浅野(※浅野健一)によれば、その原因の一つは記者クラブ制度にあると言う。それは、ある特定の仕事に任命された記者たちの集まりで、彼らは取材相手の組織に恩義を感じるようになる。
 「政治記者はほとんど有名な政治家の腰ぎんちゃくですよ」
 浅野は好んで生徒にそう教えている。
 「警察記者はペンを持った警察官です。共同通信の記事の九十パーセントは記者クラブ発表によるものです」