爆笑問題の太田光は福島の避難区域や福島原発に行って欲しい。

 車の中でチラ聞きしただけなので、ちょっと記憶や話の前後関係が曖昧なんですけど、今日の夕方4時頃のラジオ番組で爆笑問題太田光さんが今回の福島原発事故に関連して


 「すみっこの方で(脱原発の)デモなんかやったって意味ないんだよ!」と例の口調でがなっていたのを聞き、一瞬自分の耳を疑うと共に、強い衝撃を受けました。


 その直前にも「斉藤なんとか(斉藤和義?)」という人の事も同じように「すみっこの方で文句言って云々」という事も言っていましたが、すみっこに追いやってるのは誰なんだという話ですよ。でも百歩譲って斉藤さんは出る側の人間だからまだいい。でも、福島で原発による交付金の恩恵も受けずに自立して農業をやってきたのに突如仕事も故郷も奪われた飯館村の人達とかも今回の脱原発のデモ参加者には含まれているんですよ。そういう人達にとって怒りや悲しみの表現方法の一つでもあるデモを「すみっこの方でやってるデモ」と一言で片付けるこの人の無神経ぶりに腹が立った。


 こういう発言を福島の人達の為に活動している山本太郎さんとかが言うなら意味も違って来るんですよ。「俺たちの力はまだまだ足りない。マスコミの組織力に比べれば俺たちはすみっこの存在だ!」という発奮の意味かな?と思えるから。


 でも私が昨日のラジオで聞いた限りでは(あくまで私の解釈)太田光さんの場合はそうじゃなく、テレビ(メディア)こそ主流、みたいな奢りとか、この原発事故で実際の被害(避難させられたり、今も危険な原発で仕事している人達や、内心放射能放射線に怯えているが福島を出られない人達)への配慮みたいなもんが一切感じられなかった。とにかく「文明を否定するな!」という感じ。


 文明、なんて誇りたいなら、中曽根康弘さんは再びメディアに堂々と登場して「私が原子力関連予算を日本で初めて成立させました」と言えばいいじゃない。日本において地震津波による被害も想定できず、事故後の収束や正確な原子炉内の現状把握すらままならず、除染の見通しもつかないこの現状を作り出した「文明」って何?


 原子力発電の導入が、せめて国民投票小泉内閣郵政民営化解散のような状況で決められていたのならまだしも、ほとんど全てが秘密裏に(特に大マスコミの中では)薦められ、裁判所も平等でない状況で、「でもアンタたちだって原発の恩恵を享受してきたじゃないか」と言われても、それは水メジャーの悪どいやり方と大差ない主張にしか思えないんですけど。


 原発推進派なら推進派で別に良いと思うのです。人が皆自分と同じ意見でなければ許さない、受け入れない、というのは視野が狭過ぎる。堂々と色々な主張を交わせるようになってこそ、様々な発展もしていくと思う。でも今回の太田光さんの発言は私は受け入れられない。自身のいるメディアが世の中の中枢とし、脱原発をデモで訴える市民をすみっこ呼ばわりするこの発言は。


 震災後って、芸能人や文化人の別の面を沢山見る事ができた。クールに見えていたあの人が意外と人情に溢れているんだね、など、良くも悪くも印象が大きく変わった人が多い。爆笑問題太田光さんもそのうちの一人で、私はこの人が結構好きだったんだけど、はっきり言って今は、そんな自分が恥ずかしい。