ベルトコンベアー式選択

 大阪府知事に立候補表明する直前にもテレビ番組で「(立候補は)2万パーセントない」と堂々と嘘を言って退けた橋下徹市長なので、「原発再稼働は反対」と声高に言っているのを聞いても「どうだか…」と胡散臭い目で見ていたけれど、本当にコロっと自分の意見を覆した。誰かが橋下徹氏に「ワシントンも君に注目と期待を寄せているんだよ」と囁いたのか。


 「自分もいつかは総理大臣に」という野心が強い人間ならば、無力な国民に嘘つき呼ばわりされても、自分に権力を与えてくれる長い物に巻かれておいた方がいい。


 かつて調子に乗り過ぎた東国原氏が見限られたように、こういう「嘘のつき方」も含めて、姿を見せぬ政界のドンは評価の対象としているんだろう。全てを裏で牛耳る者からすれば、橋下徹氏に対しては「ようこそ腐敗政治の中枢へ」と言ったところだろうか。


 本題。
 年収何千万もある芸人(次長課長河本準一キングコング梶原雄太)が親に援助もせず、国民が払った税金から生活保護を受けさせていた、というのは確かに愉快な話ではない。娘に小学校の教育もろくに受けさせず裸みたいな格好をさせロリコン達の性欲の餌食にし、世間的に見れば子供を食い物にしていると思われても仕方がない某元アイドルの親とかなら、「売れたからって子が親を面倒見てやる事はないよ!」と庇いたくもなるけれど、問題になっている芸人達って、親との話を売って稼いでいた事もある人達なので、個人的な感情から言えば「汚い人達だな」と思う。


 だけど、よくよく話を聞いてみれば、それは法律に違反した行為ではないと言う。だったら、片山さつき氏や世耕弘成氏を始めとする国会議員にできる事は、その芸人を見せしめのように吊るし上げる事ではなく、そういう行為が法律違反に当たらないという今の法を改正する事なんじゃないか。そういう地道な事をせず、マスコミが飛びつきそうな派手な事をして騒ぎを大きくし、自分が目立とうとしているように見える。


 どうせなら、


 ※大飯原発がある福井県おおい町の時岡忍町長が創業し、今は長男が社長を務める鉄工会社、日新工機が関西電力からの原発関連工事をこれまでに約4億5000万円分受注していた件、さらに今は原発が止まっているために倒産寸前という完全に原発に頼り切っている現状(だからすぐにでも原発を動かしたい)や、遡れば、

 
 ※玄海原発がある佐賀県玄海町でも岸本町長の実弟の会社「岸本組」が原発関連工事を受けていた件や、さらに広げれば、  


 ※震災瓦礫を受け入れている静岡県島田市の桜井勝郎市長はもともとは自身が桜井資源株式会社という産廃業者の社長で、現在は親族が経営しているという件


 などをもっと掘り下げてマスコミに向けてアピールしてもいいんじゃないか。                                                   


 こういう話を聞いたとしても中には「町長がそういう会社を経営していたって別にいいじゃん」と思う人もいると思う。「権力は腐敗するのが常だから仕方がない事だ」とも。私はそういう意見には賛同できないが、百歩譲ってそういう感想を持つ人がいてもいいと思う。でも今の報道は、情報すら与えず、そういう様々な感想さえ持たせない。そして、国民の命を揺るがすほどの権力などはほぼ持たないだろう(島田紳介ビートたけしなら別だが)芸人の事は烈火の如くつるし上げ追求している。バランスがあまりにもおかしい。


 原発が爆発事故を起こし、遂に原発施設の敷地外に放射性物質が拡散されてしまい、住民が被害を被ったという時に、一部マスコミや政治家、コメンテーターは「それでも国民は今まで原発の恩恵を受けてきたんだから云々」というような発言や、「原子力発電を受け入れてきたんだからしょうがない(それを選んだ国民の責任もある)」という発言を耳にした(または目にした)んだけど、果たして本当にそうだろうか?


 原子力発電の危険性を訴える人の声は報道せず排除し、国民に選択の余地すら与えなかったのではないか。


 今回の原発事故でも政府とマスコミが一体になって情報をコントロールしている事は明らかだし、それでも何とか自分で情報を得て「これはおかしい」と気がついた人達が反対の声を上げてみても、全くその声を取り上げようとせず、ただ異端扱いして終わらせようとする。それは九州に瓦礫を搬入した時の騒動を見ても明らかだ。 


 福島の原発から100キロ以上離れた千葉県の木更津のタケノコや、静岡県の茶葉にまで放射性物質が付着していたんだから、宮城県岩手県にしばらくの間野ざらしにされていた瓦礫に放射性物質が付着していない確率はかなり低い。既に放射性物質が拡散している関東や東北ならまだしも、何故九州にまで放射性物質が付着したと思われる瓦礫を運ぶ必要があったのか。放射性物質が完全なる無害という証明がないのなら、わざわざ九州にまでそれを広げる必要は無かったと私は思う。


 でも、住民達が瓦礫の搬入を拒もうにも、その意見は聞き入れられず、ならば自分たちの体で道を塞いで阻止しようとしたら相手は大量の警察官を送り込み力ずくでどかそうとし、更にそれに抵抗した者は否応無く公務執行妨害として連行・逮捕されてしまう。そして、原発の再稼働にしても、その是非を国民に選挙で問う事もなく、都民が直接選択する権利を求め東京都民32万人分の署名を都に提出してみても(私が集めたんじゃないけど)都知事が鼻であしらい、国民が選んだわけでもない総理大臣が勝手に再稼働の許可をしてしまう。これのどこに「国民の選択やその責任」が存在するのだろうか。