報道というか方道というか

アメリカのスノーデン氏の件の報道が、「彼は英雄か?裏切り者か?」から「彼は今どこへ?」などの話題中心で、肝心の「彼はアメリカ国家の支持の元で何をしていたか」に詳しく触れようとしない。(全く報じないわけではないが、詳しくはない)


  私はアメリカの法律がわかっていなくて、最初この報道を聞いた時に「あれ?アメリカが電話やメールの内容を盗んでいるのはもう既成事実化してるんじゃないの?(公然の秘密)」と思った。石原慎太郎さんもよくそういう話をしていたし、陰謀論者ではない池上彰さんの著書にさえ、青森に大規模なアメリカの諜報施設があると書かれている。なのに何を今さら騒いでいるの?と不思議だったんだけど、今回はアメリカ国民の情報まで盗聴していたからアメリカ国民が怒っているだけの話なんですね。つまり、日本を始めとし、アメリカ以外の国の情報は“平和のために”いくら盗聴しても合法だが、我々アメリカ国民のものはダメよと。


  「日本の情報はアメリカに以前から盗聴されている」という事実があるにせよ、日本のテレビとしてはその事にも触れられないから(報道に規制がかかっているわけではないと思うが、「日本は昔から電話やメールの内容は傍受されています。」と影響力や信憑性のあるテレビが大々的に認めてしまうと、その事を全く知らなかった一部の視聴者にとっては大きな驚きを与えるし、さらには「なんでそんな事をされているのにアメリカに抗議しなかったんだ!」と日本政府やアメリカに非難の目が向けられ話が別の方向に膨らんでしまうので自主規制しているのだと思う。)しらじらしく「アメリカが盗聴しているなんて驚きましたねー。」などと猿芝居しているのは見ていられない。芝居小屋閉鎖!


  仮にこのスパイ事件の舞台がアメリカではなく中国や北朝鮮(日本のマスコミは何故か韓国の事もイメージダウンさせたくないらしい。恐らく親米国家だから。)で起きていたとしたら、今回の様な報道内容ではなく、どのような方法で、どのような情報を盗み、それをどう活用していたのかなど、そのスパイ活動がいかに害があるのか事細かに時間を割いて報道していたんだろう。悲しい事にその報道を見ている人達も、「スノーデン報道の時とは違うね。」などという違和感をもう感じなくなっている。


  前々からの事だけど、日本の報道はやっぱり人々をある一定の方向へ向かせようとしている。もしくは、向かせたくない方向をあからさまに避ける。これは報道ではなく方道、もしくは彷道だ。