またまた噴出 ジャーナリストへの自己責任論

 イスラム過激派のテロ組織による邦人誘拐。湯川さんはともかく、ジャーナリストの後藤健二さんにまで「危険だとわかっていて行ったのだから自業自得。」とか言ってる人達が腹立たしい。「自己責任!」なんてお決まりのフレーズを繰り返してるけれど、そう言ってる人達の中にも選挙すら行ってない人がいると思うと「国民として最低限の責任も果たせない奴が人の批判にはでしゃばってくるなぁ」と腹立たしさもひとしお。「何もしない」という事は決して「善」では無い。


 そしてマスコミは何故、信頼できるジャーナリストだと承知している後藤健二さんを「助けよう!」という積極的な姿勢を表明しないんだろう?危険すぎて自社の社員が行けないような所の情報を、彼等から得た事だってあるだろうに。テロリスト達は日本のテレビを見ているに違いないんだから、もっとテレビで「後藤さんは敵じゃない」と思わせるようなアピールはできないものか。タイムリミットが迫る中で動画が合成かといかの映像解析なんてどうでもいい。捕われている事には違いないんだから。というか、動画が怪しいという疑問はもっと前からあったのに、その時はスルーして今掘り下げるかね・・・。




 今の日本は戦争が起きていないので他人事というか、イラクやシリアの国民の状況が想像できないと思うが(想像でいないからこそ簡単に「危険だとわかってて行った連中が悪い」とか言えてしまうんだろうけど)、テロリストに制圧され、電話やインターネットが使えない国民にとって、自分達の現状を世界に発信してくれるジャーナリストというのは、暗闇に差し込んだ細い光のようなものではないだろうか。


 日本だったら、大震災や大雪、大洪水などの災害が地方で起きた時に、自分の地域だけが孤立してしまったら・・・という状況だと思えばわかりやすいかも知れない。


 道路は遮断され、電気も止まり、食料も底をつきそうな状態なのに、助けを呼ぼうにもネットも電話も使えない。そんな時、危険を犯して自分達の元へ来てくれる人がどれだけありがたいか。その人自身は物資などを持ち合わせていなかったとしても、その人が「ここに孤立している人達がいます!」と広く伝えてくれる事で状況は変わる。


 誰かに助けを求めている人がいて、その声を放っておけず立ち上がった「誰か」というのは無敵のヒーローなどではなく、家族のある普通の人間で、それがたまたま日本人だっただけの事。今現在自分が助けを必要としていないからと言って、まるで何も起きていないかのように「行く必要もないのに危険だとわかってて行ったんだから自己責任」という意見はあまりにも身勝手で視野が狭い。「自分がピンチに立っていないから他の困っている人など放っておけばいい」という考えすぎないだろうか?そういう人は、自分が地震などでどこかに閉じ込められた時に、誰かに助けを求めないんだろうか?