「保育園落ちてしまいました。日本の制度を改善して頂きたいです。」と言えば耳を傾けてくれたのか。

 つるの剛士さんどうした?
 というか、今までつるの剛士さんに注目してこなかった私にとって、この人は“おバカ”を売りにして3人組で歌っていたり、子育てのために仕事を休んでいたのどかなイメージしかないのだが、それは表層的なもので、実は元々こういう冷たい人だったという事なのか?

 でもこの人が仕事を休んでまで育児をしていたのは奥様を助けるためじゃなかったのか。単に「可愛い子供と一緒にいられるくらい金銭に余裕があったから」休んでいただけなのか。まぁ、この人は政治家や公務員と違って税金を稼ぎにしている人じゃないから、この人が裕福なのはこの人の成果であり、そこを責めるつもりは毛頭ないし今回の論点はそこじゃない。

 つるの剛士さんは共感を得るため、または否定されにくくするために「日本人として」なんてあえて明記しているけれど、そうじゃないでしょ。本音は民進党が嫌い(もしくは自民党が大好き)で、将来の生活の苦労も考えずに子供を産み離婚する母親を嫌悪しているんでしょうよ。普段のつるのさんを見ていても(金髪も含めて)古き良き日本の風習や文化を守っているようには見えないもの。今が民主党政権で、この言葉をブログに書いたお母さんが、離婚じゃなくて死別でシングルマザーになってしまったのだとしたら、同じ言葉でもこんなに非難されなかったんじゃないの?つまり本当に気に食わないのは言葉そのものじゃない。

 私も、この「保育園落ちた〜」の言葉自体は好きではない。だが、この言葉が出てしまった背景を考えると、簡単に否定する気にはなれないし、これを今年の言葉(現象)として刻んでおこうという思いもわかる。こういう言葉が母親から出ざるを得ない年・時代で、汚い、悲しいのはこの言葉そのものではなく、この社会や政治の方だ。それに、こんな言葉を記録に残すのは子供に悪影響だとか言う人もいるが、去年の流行語も記憶にない人がほとんどなんだから、この流行語大賞というものに後世に渡る影響力はない。

 お金が必要だ、お金欲しい!と思っても、世の中のみんながみんなテレビに出られるビジュアルや学力や諸々の才能や体力があるわけじゃなし(高給を稼げる職業につけるわけじゃない)、どうにか子供を預けて働かなきゃならない人もいるわけだが、
【子供はどんどん大きくなって必然的にお金が必要になる→働くには子供を預けないといけない→でも保育園が空いていない→なのに政府はのんきに“女性活躍社会”なんて国民を煽っている→きーっ!この国め!→保育園落ちた日本◯ね】となる気持ちはわかる。しかも、単純労働は賃金が下がり、稼ぐためには長時間労働しなくてはならないという別の問題も絡んでいるのだから・・・。

 本当に困ってこの言葉を口にしてしまった人に対して正論を振りかざして「その言葉はいけない言葉デスネ」などと言っても問題解決にならないんじゃないか。こんな非常事態の人にそれを説いて、誰が幸福になるのか。安全地帯にいるつるの剛士さんやその仲間の耳心地を満足させるだけなんじゃないか。

 大怪我をして血まみれの緊急の患者を乗せた救急車の行く手を阻むように路上駐車をしている車があり、その運転手がのんきに近所の人とお喋りをしていたら、その運転手に対して思わず「バカヤロー!その車を早くどかせ!」と怒鳴ってしまう人はいると思う。その人に対して「その乱暴な言葉使いはいけませんよ!」などと注意する人はいるのだろうか?

 わかった!この「保育園落ちた〜」の言葉の本質よりも字面にこだわる人というのは、結局保育の実情がわかっていないというか、この問題が他人事の人達なんだな。だから問題の本質ではなく表面の方を重視するんだ。

 余談だが、ネット記事の流れで、
「“保育園落ちた〜”の流行語入りに文句を言わない人が、仮に“土人”という言葉が流行語入りしていたら激怒していただろう矛盾」
というような、書いた人のドヤ顔が浮かんできそうな一文(おそらく誰かのツイッターの引用)を目にしたのだが、土人という言葉はある特定の人達に向けられた差別語だし、それを言われて「私の事だ」と傷つく人達がいる言葉なのに、それを流行語として“保育園落ちた〜”と比較するその浅はかさに呆れ、口からエクトプラズム(魂)が出そうになった。