媚びる人の背中を見ている

 ネット記事を読むのが苦手だー。パソコン画面をじーっと見つめて文字を読むのがキツいのだ、と思っていたけれど、それだけじゃなく、書籍で長年慣れ親しんで来た縦書きでなく横書きにまだ目と脳が馴染んでいないのだ!と気がついた。PC画面上の横書き記事の文字を目で追ってはいるものの、気がつくと他の事を考えてしまう。せめて右から左に文字が流れてくれればなぁ。


 本題。
 フジテレビ放送の『ボクらの時代』(ゲスト:パトリック・ハーラン厚切りジェイソン、SHELLY)を見た。

 皮肉な事だが、今や日本のテレビの中で本音を言えるのは“日本のテレビにしがみつかなくても生きて行ける人”だけなんだな。

 逆に言うと、かつては専門の本職がきちんとあって、その人達が本職の合間にテレビに出てコメントしていたから情報番組のコメンテーターは意義があったのに、今や【コメンテーター】というのが本職(テレビに出る事で顔を売り、講演会で稼ぐ人達も含む)の人達がテレビ番組にはびこっているから、政権やスポンサー、番組制作側に媚びた発言をする人ばかりになってしまったんだな。専門職のプライドよりも、コネを切らさず画面に出続ける事の方が大事という・・・。

 そういう点でいうと、厚切りジェイソンはどこかで「日本にしがみつかなくても生きて行ける」という覚悟というか強さを感じた。日本人であり、かつずっと日本で暮らしてきた(旅行は除く)私から見ても、今のテレビは「日本って他の国よりスゴイヨネー」「海外の人は日本に憧れてるんだよ!」感が強くて、謙虚な日本人はどこへ行った?と自画自賛ぷりに恥ずかしくなるような番組が多い。(でもテレビ東京の『YOUは何しにニッポンへ』は大好き)別に日本の良さは良さで「いいよね」でいいのに、何故か外国と比べたり、外国の人に褒めさせるんだよね。

 それから、日本の芸能人は(政治など)意見をはっきり言わないね、という話。自分達は政治家や政党の誰を支持しているかは言えないのに、外国人には言わせる、という意見を聞いて、本当にその通りだなと日本のテレビ制作側のセコさに再び恥ずかしくなった。

 そうだよ!日本の芸能人に対して「私は安倍支持」「安倍不支持」なんてパネルを持たせたりしないくせに、何故相手が外国人になると「トランプ支持・不支持」なんて言わせる番組を作るんだ。

 これ、日本人が優しい、相手への気遣いで本音を言わない、という話ではない。だってテレビをつければ毎日誰かが誰かに向かって「ハゲ・チビ・デブ・肌がブツブツ・ブス・ブサイク・ジジイ・ババア」等々、ほとんどが本人にはどうしようもない問題についての言葉を、子供を含む沢山の人が見ているテレビの中で投げかけている。これのどこが「日本人の美徳」ですか?テレビに出ている人が政治について本音を言わないのは、他者を守っているのではなく自分を守っているだけの事だ。

 「外国人が自分の意見だけ言わされる事が不服ならそういう番組に出るなよ!」という問題ではない。彼等売れっ子芸能人が断ったところで、無名の外国人を沢山集めて討論させるだけの事だから。逆に言えば、本音も言えないのにのうのうとコメンテーターなんて務めている日本の芸能人の方に降板してもらいたい。大事なのは、「こちらが手を出せない外国の話ではなく、日本の政治の事を話し合いましょうよ!」という事だ。政権や原発憲法等々に対する世論調査で「どちらでもない」「よくわからない」と答えるなんて、無責任な事だと気がついて欲しい。

 厚切りジェイソンさんの「意見を言わないのは何も考えていないのと同じ事」という言葉が刺さった。