一般市民とは

 週刊文春ゲスいわ〜(香取慎吾さんの子供報道)。だから私は芸能ネタを扱う週刊誌は絶対買わないようにしているのだ。

 子供に関する事は慎重に慎重を重ねないと、本当の子にせよそうでないにせよ、生まれた子には何の責任も無いのだから、“隠し”とか冠つけるのも失礼だし、ましてや誤報だったら「僕の父親って一体・・・」って戸惑ってしまう。さらにこうやって大々的に文春が報じた事で、ゲスな上にハイエナ気質の他社の記者が子供の元へ行き「パパって呼んでるの?」とか聞き回ってるかも。

 でも今回は香取慎吾さん本人がテレビの生放送でハッキリと否定したからスッキリした。テレビ局は「はぁ〜、便乗して報じなくて良かったー」と胸をなで下ろしているでしょうな。

 本題。
 テロ等準備罪(いわゆる共謀罪)に関して、一般市民は対象外だというけれど、権力側から見た【一般市民】って何?

 今多くの人は「私達国民が戦争に行かされる事はないだろう。だって、いざそんな事になったらみんな反対するだろうから。」とノンキに構えているけれど、その「いざそんな事になったらみんな反対する」という行為が今回のテロ等準備罪では「一般市民“ではない”」行為と見なされてしまうのだ。

 つまり、国家、特に安倍政権が言う【一般市民】は「国家が決めた事に全く逆らわず従う人」の事で、もし戦争に行かなくてはならなくなっても、それは国のために戦うのだから誇らしい事だと思わなくてはならず、実際に過去の戦争で召集令状赤紙)を届ける人は「おめでとうございます」と言って手渡していたし、戦地に送り出す時に家族や近所の人は「バンザーイ!」と見送らなければならなかった。(人前で泣くと戦争に協力する事に反対する非国民と言われてしまった)

 余談だが、最近のドラマとか映画って、戦地へ見送りの時とかに母親や妻が外(人前)でも泣いていたりする場面があるんだけど、あれは本当にやめて欲しい。安易な感情表現に逃げないで!と演出家の人にはお願いしたい。それ以前にただ無知なのだとしたら、戦争を扱う資格すらない。余談終わり。

 石破さんもかつてブログで「デモはテロ」(「単なる絶叫戦術は、テロ行為とその本質においてあまり変わらない」)という意味の事をブログで書いて問題になった。問題になったからちょっと訂正したみたいだけど、騒がれなければそのままにしていたんだろうから、本音では「デモはテロみたいなものだ」と思っているんだろうし、デモをする市民に対してそういう受け止めをする可能性があるという事だ。このテロ等準備罪(いわゆる共謀罪)の恐ろしさはこういう所にある。

 「ゆとり教育世代とか言って、俺たちが決めたんじゃないのに」と文句を言う人達がいるが、その世代が選挙権を手に入れた今もまだ政治に無関心でいるのなら、もう人のせいにはできない。「いざとなったら(実際に戦争に行かされる事になったら)みんなが反対する」なんていうのは夢だ。「みんな」は想像以上に空気に流される。本当に「いざ」の時はすでに周りを固められている。むしろ今が「いざ」と行動すれば間に合う最終段階かも。