無自覚な教祖

 NHKで放送していたドラマ『OH LUCY!』が面白かった。タイトルだけ見た時に「つまずきながらも頑張る女のいきいきライフ」的なドラマを想像してしまったので録画するかどうか考えたけれど、見て良かった。(ネタバレしてしまうのであんまり書けないのが口惜しい)
 寺島しのぶさんの役の行動は大胆を通り越し「えっ!?」と思ってしまう事の連続だったのだが、英会話の先生に対する中盤の行動などは、男女が逆の立場だったらそんなに「変わり者」的な行動じゃないんだよなぁ(やっていい事じゃないが)と思うと、自分が固定概念に縛られた人間なんだなと思い知った。

 映画は別の物語になるというので、もっと寺島しのぶさん演じる主人公の背景がわかるのでしょうか。あれは根が深そうだよ・・・。

 姪っ子役の女優は可愛くて華も存在感もあるが、それだけに演技がうまくなかったのが残念。全然怒ってる感じが伝わらなかったもの。他の人(寺島しのぶジョシュ・ハートネット南果歩役所広司)が凄すぎるのだが。

 本題。
 私はツイッターをやっていないんだけど、見る事はある。ツイッターユーザーの間では、自分の事を褒めている人のツイートを自分のツイッターに表示させるのって常識なんですかね。

 全く大きなお世話だが自分のブログなので書かせてもらうと、その仕組みに乗れてない人間からすると宗教っぽくてすごくキモい。その人をAさんと仮定すると、Aさんのツイッター上に、ファンや見知らぬ人がツイートした「Aさんのあの作品最高!」などというのをAさん自ら自分のツイッターに表示させちゃうという。しかも沢山。この人面白そうな人だな、と思ってツイッターを見てこの手のツイートが溢れ返っているとガッカリしてしまう。私はなんでこれを読まされているんだ?と。(自分から読みにいったので勝手な事を言っているのはわかっているのですが)

 その引用ツイートの前後に本人が「ありがとう!」などとコメントをつけていたりすると、自分や自分の作品等を褒めてくれた人に対してお礼を言うのは普通の行為なので違和感はないのだが、ただ“褒めコメント”をじゃんじゃん載せるってツイッター界独特かもね。

 人に対して「◯ズ」とか、一昔前だったら聞かれなかった汚い言葉がネットを飛び越えて日常会話やテレビなどでも聞かれるようになった。そういう言葉を目にしたり耳にすると、いつかつられて自分も言ってしまうのでは、と心配になる。ネットは便利だが、これが常識の世界に浸りたくないなーとやっぱり思うが、その辺の自覚は難しいかも。